curtain call encore

推しのお芝居のお話をしたいだけ

「夢のなか出会えたなら死んじゃっていい」/『チョコレート戦争』

 

※舞台「チョコレート戦争 ~a tale of the truth~」本編およびドラマ「チョコレート戦争」、ミュージカル ロミオ&ジュリエット(2021)パンフレットのネタバレがございますのでご注意ください。

 

 

214日、バレンタインデー。

すなわち篠田康太くんの命日。

そのことにかこつけ、彼について自分の中で消化できていなかった部分を整理しようと思い立ちました。

 

『チョコレート戦争』という作品は、解釈するのが難しい物語だなあと思います。実際、演者である古谷大和さん、植田圭輔さんが舞台のコメンタリーで解釈に頭を悩ませたという内容のことを仰っていました。

しかしパンフレットに綴られた脚本家さんの言葉を読むと、篠田くんの考えを篠田くんではない我々が理解できずに終わるのは、意図したうえでのことのようです。何故なら、「『もう会えなくなった人』の声を聞くこと」は出来ないから。

そのため、どんなに考えを巡らせたところで正答には辿り着けないということを前提に、考えていきたいと思います。

 

ドラマから舞台にかけてストーリーが展開された末に、残された謎は大きく二つ。

「なぜ篠田康太はDust Kissを辞めたのか」

「なぜ仁科先生宛のチョコレートを食べたのか」

わたしの理解力読解力が足りないだけかもしれませんが、この二点を軸に考えさせてもらいます。

 

 

まず、「なぜ篠田康太はDust Kissを辞めたのか」

篠田康太(立石俊樹)は学園に転校してきてから、その佇まいで日に日に注目を集めるようになり、バレンタインで最もチョコレートを貰った学園一の人気者として先の芸能活動が保証される通称『キング』確定と噂されていました。

その存在感に目をつけた村木乃亜(古谷大和)に誘われ、アイドル部としてDust Kissというグループを結成する。しかしデビューの話が舞い込んだその日、篠田は突然グループを辞める。メンバー達は勿論のこと、学園中の者がその心を理解できず、最も人気を博していた彼は転がり落ちるように孤立してしまう。そのことが後に彼の身に悲劇をもたらすと言えるわけですが、篠田くんは最後までその心の内を明かしませんでした。

ただ、本人はグループを辞めた理由を訊かれて以下のように述べています。

 

①芸能事務所POPLIFE・辻雅樹への反抗、復讐

辻雅樹(小早川俊輔)はDust Kissをデビューさせようとした人物であると同時に、ドラマの主人公でありアイドル部の顧問であった仁科先生をかつてアイドルとしてデビューさせようとしたものの、その夢を絶つという形で若かりし頃の仁科先生を挫折させた存在でもあります。

このことを知った篠田くんが、自分が辞めることで「先生の代わりに」辻に反抗・復讐しようとしたことを、「僕が勝手に思ってしたことです。気にしないでください」という言葉を添えて先生本人にほのめかします。

後ほど詳しく書きますが篠田くんは〝大人〟に振り回され傷ついた過去があり、そのせいで(多分それだけではない)(これも後で書く)人生に対して結構極端な諦観を抱いています。

子どもの夢や人生が大人によって壊されることに強い嫌悪感をもっていることが、まさにそうした仕打ちを身近な存在に行い、自分達にも行おうとしているのかもしれない男への復讐に至らしめた。実際、彼の脱退によってグループは壊滅し、辻の構想したDust Kissデビューは夢に消えた。そう考えれば、篠田くんの行動は突飛ではあるけれども腑に落ちなくはないように思えます。

 

Dust Kissが「大好きで、大切だから、その時のまま残しておきたかった」

関係も良好で活動は順風満帆、そんな中で納得のいく理由説明もない脱退など思いもよらない出来事だったからこそ、メンバー達は篠田くんに激しく憤り、理解できず、彼を避けるようになる。

辞める時も辞めてからも、篠田くんはグループとそのメンバーのことが「好き」だった。そのことがかえってグループを辞める理由になったのだと本人は言います。ここに、先に少し述べた彼の人生観が表れています。

篠田くんは両親の離婚で弟と引き離された経験をもっています。さらにこれはドラマでは一言も触れられず舞台で初めて明かされた事実なのですが(本ッッッ当にびっくりした……)篠田くんは生まれつき心臓に疾患をもっていて、余命宣告をされていたといいます。

自身が学園中から人気を集めていてキング確定と噂されていることは認識していた篠田くんですが、彼はそのことを「くだらないって思います」と一蹴。それに続いたのはこんな言葉でした。

「いま僕を好きだって言う人が、5年後、10年後、もっとずっと先になっても、そう思ってますか?」

「みんなそんな心は忘れていくと思います。自分でも気づかないうちに」

人の心が、誰かや何かを「好き」であるという気持ちが変わってしまうことを、篠田くんは両親の離婚とそれによる家族の断裂によって悟り、そういうものとして忍受してしまったのかもしれない。そしてそれを遠くない将来に命を落とす自分にも当てはめ、たとえ今どんなに愛されていたとしても愛され続けるはずがないと考えていたのかもしれない。

「どうせ変わっていくんです。永遠なんてない」、そう零した篠田くんにとって、自分が、お互いが愛するDust Kissもその愛を失って朽ちていってしまうのではないかと恐れることは必然で、好きになればなるほどその喪失への恐怖は大きくなる。「もう変わっていくのは見たくなかった」という言葉は、仁科先生が考えた通り、そうした篠田くんの生い立ちに基づく人生観が生み出した恐れを意味していたのだろうと思われます。

自分が辞めてもDust Kissが続いて、愛した形が変わってしまう様を見る前に自分の余命が尽きると思っていたのか、それとも自分の脱退でたとえグループが崩壊しても、辞めて離れることで自分の中のDust Kiss像は固定され、形を変えるのを見なくて済むと思っていたのか、真意はわたしには推し計れません。

ただ、メンバーの皆がそれほどまでに激昂してグループ壊滅状態になったのは、単に篠田くんの行動が理解に苦しむからだとか、デビューの話が頓挫するからだとかだけじゃなくて、篠田くんなしではグループが成り立たなかったからだといいなって思います。

もし篠田くんが自分の考えをちゃんとメンバーに伝えていたら、皆は理解してくれたのか、理解した上で手を離してくれたのか、離してはくれなかったのか。篠田くんは離してほしかったのか、離さないでほしかったのか。その全部がわからなくて、わからないから怖くて、だからわかろうとしないまま、わかってもらおうとしないまま自ら手を離してしまった篠田くんが切なくてたまらない。

 

今まで書いてきた内容を超ざっくりまとめると、篠田くんがその経験を通して培わざるを得なかった人生観が、大好きなグループを辞め大好きなメンバー達と離れるという選択をとらせたということ。そしてその元凶は、篠田くんや仁科先生を始めとする〝子ども〟達の夢を奪い失望させる大人達であるということ。

舞台のラスト、Dust Kissのステージが大人達の都合で潰されそうになるところからもわかる通り、この作品はそういった大人と子どもの対立構造を描いていて、その中でも「永遠なんてない、変わってしまう。誰かのせいで、時間のせいで」というように人生を悟って命を落とした篠田康太という子どもの姿を描くことで大人にその在り方を問いかけているのかなと、ドラマのサブタイトル「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(=「朝に人としての大切な道を聞いて悟ることができれば、その晩に死んでも心残りはない」(引用元:朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)の意味 - goo国語辞書)からも考えました。

 

余談ですが……篠田くんの直接の死因となった「重度の猫アレルギー」、これって篠田くんが大人の身勝手さに酷く拒否反応を示していたことの暗喩なのかなと勝手に思っています。というのは長谷川由和(杉山真宏)の母親の不倫相手が飼っている猫が、由和を傷付けた大人達の汚さを象徴しているのではっていう思考です。すみません、猫を貶めるつもりは全くもってないんですけれども!!!

由和の行動と篠田くんの行動が不幸な形で重なって篠田くんは帰らぬ人となってしまうわけですが、大人に傷付けられ反抗しようとしたという点でこの二人自身も重なっているんですよね……

 

 

一個目の謎について書きすぎた!!!!ので二個目はさくっとまとめたいと思います(できるのか?)

 

「なぜ仁科先生宛のチョコレートを食べたのか」

これは舞台の劇中でも久保先生(植田圭輔)やDust Kissのメンバー達が頭を悩ませた謎ですね……

自分の寿命を知っていた篠田くんにとって、愛する人に想いを伝えようとする姿が「羨ましく、寂しくなったのかもしれない」。

子どもっぽいところがあるから、単純に仁科先生を「からかいたかったのかも」しれない。

こういった憶測がメンバー達の間で交わされます。どっちも有り得るような、考え難いような……という感じで結局わからず仕舞いでしたが、どちらからも導き出せるのは「篠田くんも本当はずっと愛されたかったんだろうな」という推察かと思います。言葉にすると一気に陳腐になってやだ〜〜〜〜〜〜!!!

 

先程、篠田くんは自分が『キング』候補であること、バレンタインにチョコレートを貰うことに興味がなく、それは愛が永遠ではないことを悟っているからだという話をしました。

でもそれって、またこれも繰り返しになりますが、篠田くんの生い立ちからつくり上げられてしまった諦観であって、篠田くん自身の想いとは別物だと思うんです。頭で考えていることと、心で感じていることは異なり得る。舞台で篠田くんが「僕はいますか。僕はどこに」と久保先生に問いかけ、「みんなの中に。みんなの夢の中に!」と言われて嬉しそうに綻ぶことがその証拠で。篠田くんは、自分の諦念を言葉にして、行動に移して、自分に言い聞かせながらも本当はそれを覆してもらいたかったのかもしれない。愛されることへの不安を、取り除いてほしかったのかもしれない。

『In your dreams』の篠田くんパート「僕はずっと夢見てた」は「愛されること」にかかってるって解釈はきっと、こじつけとも言い切れない。

そもそも〝アイドル〟というのは、人気商売の中でも特に「夢を与えること」と「愛されること」が重視されるものだとわたしは思っています。元々アイドルに興味のなかった篠田くんが、村木くんに誘われてすぐに首を縦に振ったのは、弟を大学に行かせる手段としてだけでは当然なく、「誘われて嬉しかった」「必要とされたかった」という劇中で述べられている理由に加え、夢を与えて、愛される存在になることに惹かれたんじゃなかろうか。

篠田くん、仁科先生に対して「先生の小説、面白そうですね」って言ってくれるんですよね。舞台で仁科先生は幼い頃からの夢だった小説家になるためにニューヨークに行っていますが、アイドルとしての挫折から夢を見ることに臆病になっていた仁科先生の背中を押してくれたという意味でも篠田くんは夢を与えてる。それも子ども(時代の仁科先生)の夢を。

それと個人的に、舞台で吉川優(小南光司)と篠田くんが両想いだった(?)という要素が突然放り込まれたのがちょっと不思議だったんですが、ファンがアイドルに向ける憧憬、友人同士の親愛、兄弟間の家族愛、そして本命チョコレートを渡すような慕情……っていう色々な愛情の形を篠田くんがちゃんと受けていたことを表現したかったのかな?わかりません(投げるな)

とにかくこの舞台のテーマとして、子ども対大人という構図ともうひとつ、篠田くんが望みながらも諦めていた「永遠の愛」が決して夢物語ではないというメッセージがあるのかなあというのがわたしの解釈です。

 

最後に書き留めておきたい言葉があります。

 

生きていても愛がなかったら死んでいるのと同じだし、命が終わっても愛は残る。だから僕は、愛をもらい、愛をあげたいと思います。

 

作中の台詞ではありません。

何かの作品の台詞でもなければ歌詞でもありません。

これ、チョコステの数ヶ月後に上演されたミュージカル『ロミオ&ジュリエット』(2021)のパンフレットにおける、「あなたにとって"愛と死"のイメージとは?」という質問に対する立石俊樹さんの答えなんです。

これを読んだ瞬間に、彼が当時つい最近まで演じていた篠田くんのことがよぎりました。

孤立してしまった篠田くんは愛されている実感がなく、Dust Kissとそのメンバーへの愛も表に出せなくなって、愛は色褪せるものだと考えていた。その時点で彼は生きていても、死んでいるのと同じだった。

けれど久保先生から、自分が死んだ後もなおみんなに愛されていること、みんなを変わらず愛していると本人達も知ってくれたこと、色褪せない愛もあるということを教えられる。そのとき現実世界ではもう篠田くんとみんなは会えない、でも「みんなの中」で、「みんなの夢の中で」生きている。

 

「夢のなか 出会えたなら 死んじゃっていい」

 

In your dreams』のこのフレーズを篠田くんが歌い上げた意味が、彼を演じたひとの考え、言葉のおかげで理解できた気がします。

命が終わっても愛は残るから、愛があれば死んでもいい。

大人に抗い、愛を諦め、人生を儚んでいた篠田くんが、今はそう思って安らかに眠って、素敵な夢を見られてたらいいな。

 

『チョコレート戦争』というタイトル、これはチョコレートが愛を象るバレンタインを舞台に、子どもが大人と闘う物語だったからかなっていう強引なまとめ!初めてタイトルを聞いた時には想像もしなかったお話でした!わたしはとても好きです!おわり!

 

 

 

 

 

……………おわりません!!!!!!!!!

 

ドドド蛇足ですが好きなことを書きます。

わたし、篠田康太という役は俊樹くんに物凄くハマり役だったと思っていて。

チョコステのレポでお見かけしたんですけど、アドリブで質問する流れになった時に篠田くんが「後悔しないように生きるためにはどうしたらいいと思う?」という内容のことを聞いたらしく。

これって篠田くんの台詞としてとても自然だけど、それと同時に俊樹くん自身の人生観が色濃く出ているように思います。

俊樹くんは歌手になる夢を諦めきれないまま消防士として働いていたところ、ふと自分がおじいちゃんになったときのことを想像して。後悔を抱えたままは絶対に嫌だなと思ったんです(引用元:https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_f4dd4c3c-d5e5-4465-a84a-d30b30a83c46.htmlというのがあって歌手に、そして役者になっているので。逆に言えば、俊樹くんの考え方は篠田くんの考え方に重なる部分が結構ある気がします。篠田くんはかなり極端だなと思うけれども。

声やビジュアルの透明感、瞳の煌めき、現世に存在するのかしないのかどちらとも確信のつかない、ふわっと消えてしまいそうな雰囲気……佇まいからしても篠田くんにぴったりだけど、それ以上にピュアさとか人の理解を超えた言動とか(褒めてます!)、死を意識して時間を儚み愛を大切に生きてるところが驚くほどリンクしてるなあって思いながら観てました。

 

〝大人〟というものに振り回されたり押し潰されたりしそうになりながら、それに反抗して生きようとしているような青年を演じる俊樹くんが個人的にすごく刺さるんですよね〜……上に載せたパンフレットの文言が出たR&Jのティボルト然り、春組第二回公演の至然り。

そうなってくると確実なのが、皇太子ルドルフ…………絶対刺さるよな!?!!!??!

 

達観した大人の考えと、天真爛漫な子どもの心を併せ持つ俊樹くんが、大人になることを強いられる子どもや大人になりきれない大人を演じる姿、今後もお目にかかれる機会がありますように!